幕末カーリング倶楽部、発足。
代表取乱役のカズキタです。
ここ最近は黒字化の活動ばかりに邁進しておりましたが、今回は栗毛の新しいプロジェクトについてのお話です。
僕ら栗毛は日々、和装で旅に出たり、ふんどしでアメリカの砂漠で飛脚をしたり、出会った人に観音名を授けたりと、若干方向は間違ってるかもしれませんが、日本文化をリスペクトしその姿勢を世の中に広めていこうとしています。
そんな日本文化をリスペクトする日々、ふと疑問に思うことが。
日夜、ニュースを沸かせるラグビーやサッカー、野球などの日本のメジャー・スポーツは、ほとんどが西洋発祥のものばかり。多少日本風にアレンジされているものもありますが、どちらかというと本国のしきたりや風習、服装なんかを取り入れることが良しとされています。もちろん、日本の伝統的なスポーツは、和装で競技を行ってますが。
しかし、明治時代ごろに西洋スポーツが日本に輸入された時、それらのスポーツも和装でプレイしていたのだろうか?聞くところによると、初回の甲子園なんかは和装で始球式をしたとも聞きますし、武田の母校・秋田中学(当時)が準優勝したとも聞きます。どうやら、和装で西洋スポーツというのは何かと栗毛と縁深いのではないか、と思うようになりました。
ここで考えてみよう。
栗毛と最も縁深い競技は一体何なのだろうか?
独断と偏見になりますが、それってカーリングじゃないだろうか?
カーリングが日本に初めて登場したのは諸説いろいろありますが、1937年(昭和12年)と言われています。諏訪湖(長野県)山中湖(山梨県)でカーリングを行ったという記事があります。
諏訪湖も山中湖も、栗毛と縁深い湖である。
諏訪湖が栗毛が頻繁に出没する梢乃雪の経由地だったり、山中湖は学生時代に利用していた山中寮の所在地だったりもする、これは縁深い。
すなわち、栗毛とカーリングはズッ友である。
カーリングはもちろん伝わった当時は和装でプレーしていたのだろう。袴に下駄を履いて、盆栽の植木鉢なんかを氷上に滑らせていたりしたのだろうか。などと妄想を膨らませると、むしろ洋装より和装のカーリングの方が面白そうですらある。これは、現代に復刻すべき日本文化ではないだろうか?
(参考:昭和期の諏訪湖スケートの様子)
こうして、カーリングの原点に栗毛が挑むことになった。
幕末カーリング倶楽部の発足である。
さて、カーリングを和装でするならするで話は早い。
まずはその実現に向けて、必要な要素を考えてみたい。
一般的に、和装カーリングを始めるにあたって必要なものは下記だろうと考えらよう。
- カーリング場
- 和装
- チーム栗毛
- 敵
カーリング場については、栗毛編集長の宗平が鋭意捜索中であり、和装と参加メンバーについても問題なく集まりそうだ。しかし、敵はどうだろうか?
ここでちょっと冷静になってみた。
思い返せば、今まで栗毛と張り合えるような集団に出会ったことがなかった。
それは、栗毛の持つ唯一無二のパーソナリティが敵を産まなかったともいえよう。音楽でもなく、旅でもない、何か特別な集団だからこそ、そこに敵はいなかった。そこはまさにブルーオーシャンだったのだ。
そんな自己満足に浸っているのもつかの間、ふと思い当たる集団が頭をよぎった。
夏に佐島用の浴衣を買ったお店、Y. and SONS の店員さんが口にしていたことを思い出した。
「え?着物でゲストハウス廻ってるの?そういえば、うちのお客さんにゲストハウスを作ろうとしてる着物を着ている人たちがいるよ。彼らは面白くてね、ブログとかよく見てるよ。」
グーグル先生によれば、その着物を着た人たちはIKILISHという団体ということがわかった。
(IKILISHのメンバー)
IKILISHのウェブサイトを覗いて見ると、そこに繰り広げられるのは2016年ゲストハウス開業に向けての、開業資金獲得のための血の滲むような努力の数々。しかし、彼らにはまだ試練が足りないと直感的に感じた。栗毛のこれまでの理不尽なまでの挑戦には及ばない、と。
ゲストハウス開業にはもっと試練が必要だろう。こんな生半可な気持ちでは、例え開業できたとしてもその後の様々な困難や試練を乗り越えることはできないだろう。だから栗毛は、試練を与えることでゲストハウス開業の支援をする、という前代未聞のゲストハウス開業支援策を名乗りでることにしよう、と。(最初の試練はもちろん着物カーリング)
そう、IKILISHこそがカーリングの対戦相手としてふさわしい、そんな気がしてきた。
こうして敵の候補は目星がついた。
次回は彼らにカーリング勝負を挑む!