[#015]江戸屋のDNAは脈々と受け継がれているのだ
栗毛構成員の武田です。
下関から車で2時間ほど、長門市の江戸屋を目指して夕暮れの山沿いをひた走る。
シーモールの江戸屋さんでお腹が減っていないのにそばとふく天を食べ、もう腹具合的にはいっぱいいっぱいなのだが、次の江戸屋さんもそば屋さん。
もうおそばはこりごりでやんす~。
時間的には19:30で晩御飯にちょうどいい時間に江戸屋さんへ到着。しかし辺りは薄暗いというのにお店には明かりがついていない…。
写真だけでも、と思ってお店の前に行くと、入り口横の勝手口で洗い物をしているお母さんを発見。
「あらー、ちょうどさっき終わっちゃったとこなのよ、すみませんね。」
腹具合的には閉まっていてありがとうだったのが、やはり残念。
東京からわざわざ江戸屋を回っていることを話すと、快く江戸屋のルーツを話してくれた。
「もともと修行してたお店が江戸屋さんって言ってね、そこからのれん分けじゃないけど名前をもらってお店を出したって聞いてるわね。お店を作ったのが大体32年位前かな。」
どうやらこのそば屋さんが修行していた江戸屋の本家があるらしい。いよいよ江戸屋のルーツを探るっぽくなってきた。
「その江戸屋さんは下関のおそば屋さんでね。結構大きくてうちみたいにお弟子さんみたいな人も何人かいたみたいだけど、もうもともとのお店の方は閉めちゃって、下関のショッピングセンターみたいなとこの小さなお店でやってるって聞いたわねぇ。それも結構前に。ほら、やっぱりこの辺だとうどんの方が人気じゃない。うちもそうだけど、おそば屋さんは結構大変なのよね。」
なんと、あのアルバイターがいた江戸屋さんがかつては栄華を極めた江戸屋なのであった。かつては有望なそば職人を多数世に送り出したあの「江戸屋」が、現在はふく天が何の天ぷらかわからないアルバイターを雇っていると考えると感慨深い。
帰り際、「せっかくだから。」とサンプルが並んだショーウインドーに電気をつけて撮影タイムを作ってくれたお母さん。本家江戸屋さんの様子は話を聞く限りすっかり様変わりしてしまったみたいですが、かつての名店だったそのマインドはお弟子さんに脈々と受け継がれているようです。
江戸屋に歴史あり。そう感じさせる江戸屋訪問でした。(ほっこり)