Feb 23, 2015

[#001]はじまりの場所

前回、銀行武田から提唱のあった江戸屋コングロマリット説という新たな学説を証明するため、早速最も身近な江戸屋に訪問し、お話を聞いてきました。

千葉県 香取郡神崎町 神崎本宿1968

千葉県香取郡神崎町の商店街にある、江戸屋。

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取り扱っているものは、酒、食品、仕出しなど。以前は肉や魚も取り扱うスーパーのようなお店だったことが、その内装から読み取れます。

 

そんな江戸屋の歴史を、江戸屋の社長の息子にして栗毛の編集員をやっている、宗平とその父にて江戸屋三代目の社長である與生さんに伺ってみました。

江戸屋は今年で創業105年(創業明治43年)を迎える神崎の老舗。

 

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以前は、栗毛がいまピアノを置いている場所に店舗があったようです。

 

 

創業70周年の時に、もともとあった卸売の建物が老朽化したのと、江戸屋の店も狭くなってたことから、今の場所に移転し3階建ての神崎一の高さを誇るビルに生まれ変わったそうだ。

 

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当時の建て替えの様子を写した写真(先代の江戸屋社長が写真好きだったらしく、相当な量の写真が保管されていました。)。まさに町の人たちみんなで建物を作っていたんだなぁ、としみじみと思いました。

 

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新店舗オープンの時のチラシ。
今じゃ信じられませんが、当時は食品以外にもフジカラープリントなんかも始めてたんですね。
抽選券をもらうとコンピューターで占いなんかしてたんですかね。

 

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これはおそらく新店舗オープン当日の写真でしょうか。
1980年の1月のことです。
万国旗の他に、江戸屋の「与」の旗が飾られていますね。
この旗の図案の謎については、後ほど。

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この写真、江戸屋がとても繁盛してます。
町中から、さらには利根川を超えて茨城県からも買いに来てたのではないでしょうか?
僕も詳しくはわからないのですが、この頃のスーパーという店舗は珍しかったのでしょうか?

外装の雰囲気が、オープン当初とも現在とも異なるようにも見えます。
いずれにしても人や物が溢れていてとても活気のある様子は、今ではちょっと考えられないかな。

 

だいたい江戸屋の歴史についてはわかりましたが、細かいところが気になっていたので、
江戸屋のお父さんに直接聞いちゃいました。

 

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お父さん、江戸屋の名前の由来ってご存知ですか?

 

いや、名前の由来はわからない。
ただ、もともと江戸に行っていた人がここで商売を始めたので江戸屋を名乗ったらしいというのは聞いている。

神崎には、江戸屋はうちも含めて2つあるんだ。

「与」というマークがあるだろう?
あれは、もう一軒の江戸屋から別れて酒屋を始めた時に、当時お店を始めた初代の名前與三郎(與生さんの祖父)の與から、あのマークを作ったんだと思う。今は簡単な与の字になってっけど、元々は與三郎の與を使ってた。

だけど、もう一軒の江戸屋は商売はやってないんじゃないかな。

 

なんと、新事実が。
神崎町にはもう一つ江戸屋があるらしいということと、あの「与」のマークにはちゃんと意味があったのだ。

面白い。

世の中には、普段生活していると意味のなさそうなことで溢れている。
しかし、それらを注意深く調べることでほとんどのことになんらかの意味を見出せるのだ。

さらに、話は続きます。

 

木村右門というのがいてな。
このあたりをまとめてたっつたらあれだけど、そういう人がいてだな。

三峰神社ってあるんだけど。埼玉の三峰山に。
そこは、火伏せ・盗賊除けの神様がおって。
神崎に大火事があったときに、木村右門がそこに頼んでこようと。
一週間くらいかけて歩いていったんだと。

その頃からだから。
今、木村家は七代目(お父さんが)だから、それだけ昔のことかな。

 

なるほど。
ここまでいくと、だんだん民俗学の調査(エスノグラフィ)の領域まで達していきそうですね。
というわけで、このお話はこのあたりまでにして、江戸屋コングロマリット説の仮説へとまとめます。

 

  • 江戸屋の名前の由来は、おそらく江戸で商売を学んだ人物がこの地で商売を始めたために、江戸帰り(あるいは江戸流?)という意味で、江戸を名乗ったお店を始めたらしい。
  • 神崎には江戸屋が二軒あるらしいが、もう一軒は商売はやっていない。(屋号も掲げていない)
  • 江戸屋の名前の前についている「与」のマークは、当時商売を始めた時にもう一軒の江戸屋と区別するために、名前から一文字借りてつけたそうだ。

 

このような内容が推測できるかと思います。

もし、江戸屋がコングロマリットだったとするならば、やはり今の東京が江戸と呼ばれていた時代(明治時代以前)に、なんらかの巨大組織が江戸にあったということになるだろう。この江戸屋が創業105年になるので、明治43年にできたこの江戸屋よりも前から神崎には別の江戸屋があったことにもなる。

すると、コングロマリットが解体されたのは明治20〜40年ごろが有力になるのではないか?

江戸屋の名前の由来は、おそらく全国に散らばった江戸屋の商人たちには明かされることのないトップシークレットだったとも考えられます。

江戸屋の由来は、江戸屋コングロマリットのCEOしか知らないという、そうコカ・コーラのレシピと同じようなレベルのコンフィデンシャルな情報だったと考えることもできます。

 

考えれば考えるほど、謎の深い江戸屋。

いや、それは考えすぎなのかもしれない。

 

 

さて、次回ですが、愛知県の江戸屋を調査しに行きます。

記事を書いた人
カズキタ
カズキタ
伏線回収系男子。『梢乃雪』『江戸屋』でのトークイベント『くりばなし』、横浜のシェアハウスにて『井土ヶ谷夜窓』、全国のカズキを集結させた『カズキフェスティバル』など、を企画・主催し『自域活性化』なる活動を実行中。

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