『旅するピアノ』のおはなし
こんにちは、代表取乱役のカズキタです。
大変、お久しぶりでございます。
書こう書こうとは思っていても、なかなか書けないのがブログです。
でも、たまに読めるからこそじっくり読んでもらえるって思って開きなおろう。
今日は、『旅するピアノ』プロジェクトについてのおはなしです。
このプロジェクトの発端は、遡ることはるか4年前の2012年のことです。
2012年6月30日に、千葉大の学生がこよなく愛する、第二食堂こむの店主から『うちにあるピアノ、いらないんだけど欲しいひといない?』みたいなツイートが流れてきたんですよ。僕のタイムラインにね。それで、とりあえず面白そうなので後先考えずに『ください!』ってツイートしたんだよね。当時は若かったんですよ。
これが物語のはじまり。
そんで、それから一週間後の7月7日に、千葉のこむの家に下見に行ったんですね。ピアノ引き取るための下見です。一体ピアノがどんな状態かということと、ここからどうやって運び出すのかということを確かめるために。
これがそのピアノ。
BRUEGHELっていう初めて耳にするブランド。栗毛のピアニスト琢郎によれば、英Wikipediaのpiano bland listにもその記載がなく、実は国産で浜松の楽器メーカー坂本ピアノ製造のものものらしいのだ。
琢郎がピアノの中から見つけたリペア記録によると、
- メンテナンス記録
- 62年8月22日 調律 P-15
rw-スプリング折損 - 63年3月7−8日 調律 狂い大
ルーズピン
断線1本
ガタ
スティック
- 62年8月22日 調律 P-15
とのことだ。60年台前半には現役でピアノが使われていたのであろう。
今も一部の音を除いては割と普通に弾けてしまうのだ。
素敵なピアノ。このピアノを引き取ることになったところまではよかったんだけど、大きな問題が浮上。。
ピアノを置く場所がない。
当然である。予期できるトラブルはトラブルではなく、意図的に起こしたチャンスのようなものだ。はてどうしようかと悩みまして、当時栗毛が通い始めたばかりの梢乃雪の2階の鍛錬部屋に置く説や、じゃがまるの部屋に置く説、たっきーのいない間に部屋に置く説、九十九里の倉庫に置く説など、あらゆる方向性を検討したけどなかなか決め手に欠けていた。
こいつは困った。
しかし、一つの可能性がここで浮上。
メンバー宗平の実家である江戸屋だ。
今でこそ僕ら栗毛は、江戸屋の構造や見取り図、はたまた収支状況まで、そのすべての情報が脳裏に焼きつくほど足繁く通っている場所であるが、当時はまだ江戸屋というのは未開の地だった。江戸屋についての情報は、宗平の口から聞いたものしかなかったからだ。マルコ=ポーロが東方見聞録で語ったジパングという国があったが、まさに江戸屋はそのような場所だったのだ。宗平が学生時代に食べているものはだいたい江戸屋から持ってきたものばかり。そう江戸屋からは無限に食料が供給されるという黄金の地、そういう印象が僕らの江戸屋のイメージだったのだ…。
という余談はともかく、どうやらそこには使われなくなった土間があるらしい、と情報を聞いた。
最終的にどうするかはわからないが、とりあえずそこに置くのが最も面白そうだ、と。
なんだけど、その交渉をするのになんと1年の月日が経ってしまったんですね。
しようしようと思っていてもなかなかできないのが交渉です。
もちろん、その間に栗毛は精力的に活動をしていましたよ。
2012年の栗毛の活動は、梢乃雪とのコラボレーションばかりでした。栗毛も古民家を長野で探すなど、それはそれは栗毛と梢乃雪はズッ友だと、そう思っていた時期が僕にもありました。
そんな中、当時は忙しくも充実していた栗毛活動の中では最も怪しいプロジェクトが、このピアノプロジェクトだったのは間違いないのだ。
そして、2013年の5月に、無事に江戸屋にピアノを置く許可が取れ(一年間という期限付きで、筋をきちんと通すことが条件となった。その筋通しには、じゃがまるの巧みな交渉術が役に立った)、さらにたっきーの夜な夜な鍛えた緊縛術を用いてピアノを千葉から神崎まで運び出すことに成功したのだ。
クレーンで引きずり出されるピアノ。
栗毛の予想では窓から脱出するのは不可能だと踏んでいたが、呆気なくピアノは脱出できてしまった。
こむ店主の粋な計らいで、ピアノを無事に運び出すことができた。
天気は悪かったものの、栗毛みんなの力で江戸屋のある神崎へと向かいます。
神崎でピアノをトラックから降ろそうとしがた、簡単ではなかった。
250kgもあるピアノをトラックの荷台の高さから地上の高さまで一回で降ろすことができなかった。そこで栗毛たちは知恵を絞り、江戸屋にあったパレット(フォークリフトで運ぶ台みたいなやつ)を重ね、トラックの高さから地上の高さへと徐々に高さを低くして、少しづつ降ろすという作戦を取った。
この作業中に、武田の親指が失われかけたがなんとか今もその親指は元気である。
初・ボンゴで来た。
そう、栗毛はこの時からボンゴで活動することが多くなった気がするな。
そして、ピアノを神崎に置いてからまたもや、2年もの月日が経過していた。
そう、すでに保管期限の一年はとっくに過ぎていたのだ。
最終的なピアノの保管場所を見つけねば、メンバーにもいつしか焦りの色が見えていればよかったんだが、そんなことは一度もなく、月日だけが悪戯に過ぎていった。
2015年2月、重い腰を上げて宗平と一緒に江戸屋でピアノの生死を確認をし、さらに6月には琢郎さんがこのプロジェクトを牽引することが決まり、改めて泌尿器の専門家としてピアノの生死を確かめることが行われた。今後の活用法にはいろいろと可能性が考えられたが、やはり『神崎のピアノ』という価値を残す方向で検討することになった。いったい神崎のピアノのアイデンティティーはなんなのか、代表取乱役として考えねばならない課題が僕を悩ませる。
そしてまたもや月日が流れ、12月のある日。さかもっちゃんから『いっし・あーとすぺーすでライブやらない?』とLINEで提案を受ける。さかもっちゃんの依頼なら断れないな〜と思い、いっし・あーとすぺーすでのライブの準備を進めたりメンバーの確保に勤しんでいた。
そのイベントを進めるにあたって、辰巳さんたちに話を聞くと、どうやらいっし・あーとすぺーすにはドラムがあるらしいという話を聞いた。そうか、あそこには楽器があるのか。だとしたら、ピアノも置いてもらえないだろうか??そんな淡い期待を胸に、ライブ当日を迎える。
無事、極寒の中ライブを終える栗毛とLODECメンバー。
終わりがけに琢郎がいっし・あーとすぺーすの番人しんごさんにこう尋ねた。
『僕らピアノを持ってるんですけど、いっし・あーとすぺーすに置かせていただけないですか?』
『いいよ。』
なんと、二つ返事でOKでやんす。
そして、ついに大町へとピアノが運ばれることが決まったとさ。
その後、神崎でのピアノのお見送りライブとペイントを終え(詳細は後日)、いよいよ大町へとピアノが運ばれます。
さあ、この物語の続き、あなたも登場人物の一人になりませんか??
物語の最後の1ページを一緒に作りませんか?
運命の大町への運搬は、2016年5月14日。
当日は神崎の旧江戸屋から大町のいっし・あーとすぺーすまで2tトラックで栗毛が運びます。
大町への到着予想時刻は15時過ぎ。果たして大町につくことはできるのか!?
その後は、栗毛たちは大町のゲストハウスカナメに宿泊予定!
一緒に泊まるもよし、一緒の布団で寝るもよし!(添い寝できるアイドル栗毛!)
さらに、カナメでは『旅するピアノ祝、完結編』のお祝いパーティーを行います。
食事だけでも、栗毛と一緒にいかがでしょうか!?
カナメの予約はこちらからどうぞ!
facebookでのイベント参加も受け付けてますよ、お気軽にどうぞ!
それでは、旅するピアノ、最終章が始まります!!
また赤字でやんす。
とほほ〜